【モニカの作り方1】涙の就職氷河期・なりゆきの新卒編

 

改めまして、こんにちは!モニカです。

 

こちらからわざわざ来ていただきまして、ありがとうございます!

 

ということで、これから私「モニカ」のこれまでの背景と転職したいきさつなど、リアルな体験談を長々と綴らせていただきます。

 

ほんとに挫折が多いのであまり良いサンプルにはならないと思っていますが(苦笑)、「こんな人でもこんなことができたのか~」というような一例として、ちょっとしたあなたの励ましになれば…という思いで、すごく恥かしいのですが、書かせていただきます。。。(ほんとに長いんです・・・汗)

 

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モニカの生い立ち

北海道の山の奥の、すごく小さな町で育ちました。

 

過疎が進む小さな田舎の町という感じで、教育環境的にはあまりいい場所とは言えませんでした。

 

私の両親は都会からの移住だったので、よく「これが都会なら…もっといろんな教育が受けさせられたのに」とこぼしていました。(私はそこしか知らないので、気にしませんでしたが。)

 

学校の授業での教科書は学期末最後でも終わりませんし、塾に通いたくてもバスで2時間かかります。(2回ほどチャレンジしましたが、経済的&時間的理由でギブアップしてます。)

 

でもまあ私は日々それなりに楽しく過ごし、自然の中でのんびりぼんやり育ちました。

 

モニカ
・・・それでも、まあとにかく受験の際には、本当に苦労しました・・・

 

高校時代もそれなりに勉強は頑張りました。その甲斐あって「ここから大学に進むのは難しいかも…」といわれている地域でしたが、運よく札幌の私立大学に進学しました。

 

大学時代はバブル真っ最中でしたが、私には恩恵が全くありませんでした。。。(涙)

 

学生時代の私は、デパートや比較的時給がよかったコールセンターでアルバイトをしていました。

 

大学の講義や国際交流のイベントなどで留学生との交流があったりしたので、周囲と同じようにうっすらと外国や英語へのあこがれもありましたが、当時は本当にぼんやりとした大学生だったと思います。

 

最初の就職の失敗・・・

大学三年時に、バブル経済が崩壊しました。

 

最初の就職氷河期と呼ばれ、ぼんやりながらも色々と就職活動してみましたが、当時女子大生は説明会さえ参加させてもらえず、告知もないまま会場で「お帰り下さい」と門前払いでした。

 

たとえ面接のチャンスがもらえても、不採用にするための圧迫面接やセクハラ面接もありました・・・(初対面の面接官に、たばこの煙を吹きかけられたこともありました。。。涙)

 

大学三年生の終わりから大学四年目の12月まで就活しましたが、内定は一つももらえず、とにかくどこでも!ということで、いつも大量採用していた「生命保険の営業職」に就くことにしました。

 

初めての仕事で、女性が多い職場…他社生保の営業員だけではなく、自社のベテラン営業員からもいろいろいじめられたりもしました。新人の当時は訪問先のトイレでよく泣いていました。。。

 

営業の仕方も分からず、最初は契約も思ったように挙げられなかったので、自分は何もできない…と毎日落ち込む日々・・・本当に辛い時期でした。

 

できる同期とは差が付き、他の同期がどんどん辞めていく中、それでも「3年未満で辞めたら、根気がないと思われてしまう…」ということを気にして辞められませんでした。

 

それでも1年目の後半には、やっと周囲に遅れて少しずつ契約が取れるようになってきました。

 

2年目は同期に遅れながらも、なんとか毎月契約を取ることができるようになりましたが、後輩にも追い抜かれている毎日に、会社では肩身の狭い思いでした。

 

そして、とうとう精神的に限界がきて、3年目に入る頃に辞めることに決めました。

 

この時は最初の就職から失敗して、私の人生はもう真っ暗だ…と本当に落ち込みました。

 

履歴書をひたすら書いた結果

退職してしばらく落ち込んで引きこもりましたが、生活のためには働かなくてはいけません。

 

私は新聞広告と職安の求人からピックアップして、とにかく片っ端から毎日何十通と必死に履歴書を書きまくって送りまくりました。

 

この頃もまだまだ不況で、履歴書を送っても返されたり、連絡さえもらえない不採用がほとんどでした。

 

それでも「私は履歴書を書いて送るだけの機械」と自分に言い聞かせて、送りまくりました。

 

そのうちの履歴書を送った先の一つが、英会話教室の営業でした。

 

単純にその英会話教室のおしゃれさに惹かれていたのと、さらにぼんやりとした英語に興味もあったので、何とかそこで仕事ができたら(そしてあわよくば英語も習得で来たらという下心付き)と、ダメ元で履歴書を送ったのを覚えています。

 

でも、なんとその英会話学校から1次試験の連絡が来たのです!

 

期待に胸を弾ませワクワクして試験会場に行ったところ、説明する会社の人も参加者も美人コンテストか!?と思うほどに可愛らしい人や美人ばかりが集まっていました。。。

 

「ここは美人採用か・・・」(結構当時はありました)とすっかり落ち込んで、美人に囲まれて筆記試験を済ませて帰る準備をしていたところ、なんと1次を通過して「人事面接に進んでください」というではありませんか!?

 

びっくりドキドキしながら、20代後半の美人の人事部長との2次面接に挑みました。

 

緊張しながらの面接が始まると同時に、「実はあなたの履歴書で、聞きたいことがあって…」と言われました。

 

美人な人事部長
・・・この、”趣味・工作”ってなんですか?

 

そう、彼女は私の履歴書のその部分がすごく気になっていたようなのです。

 

私は失業してから落ち込んでいた間、家にこもって紙粘土で細かいものをチマチマ作ることでストレス発散をしていました。他に趣味もなかったので、それを書いたつもりでした。(大真面目!)

 

美人な人事部長
で、この”特技、度胸がある”っていうのは・・・?

 

私は生保の営業時代に飛び込み営業をしなければいけなくて、初めは本当に辛かったのですがだんだん何とかこなせるようになってきたので、「以前よりちょっとは度胸が付いたかも?」と思っていたのです。(超大真面目!)

 

・・・要は、他に書ける特技がなにひとつ無かったので、仕方なく書いてみたのでした。

 

その人事部長とは、生保時代の雑談と今工作している人形の話ですっかり盛り上がり、あっという間に面接が終了。

 

結果、三次の社長(やはりスマートな美人)との面接に進み「人事部長が、是非育てたいと言っているので、来週から来れますか?」と言ってもらい、なんと私は正社員の職を得ることができたのです。

 

私にとって、初めての転職が成立した瞬間でした!

 

ちなみにこちら↓が、私が工作していた当時に作った人形の、上手にできたうちの一つです。

実はまだ大事に持っているので、今もスペインで3月ごろには時々飾ったりしています。

 

いつもこの人形を見るたびに、あの時の美人でセクシーな人事部長の事を思い出します。すごく素敵な良い方でした!

 

 

初めての転職で学んだこと

後日、その人事部長と話せる機会に「どうして私を採用してくれたんですか?」と聞いてみました。

 

美人な人事部長
普通はこの趣味の欄って、映画鑑賞や読書とか散歩とか・・・当たり障りのない人がほとんどなの。

でも、工作?えっナニコレ?って…で、さらに特技:度胸がある、って。もう、絶対会って聞かなきゃ~と思ったのよね!

 

応募した中では、狙っていなかったけれど私はかなり「異色」 (!?)だったようです。

 

・・・ということで、履歴書は「趣味や特技の欄までしっかり書く」ことをおススメします!

転職を履歴書で成功させよう!履歴書を強力な「味方」に仕立てる方法

2020年3月22日

 

面接官も人間なので、やはり履歴書で興味を惹かれた人には会いたくなります。

 

モニカ
私も人事を経験して実感したのですが、履歴書を読むのは本当に大変な作業です。

特に多数の応募のある職種では似たような履歴書をたくさん読むため、人事担当者が「会ってみたい」と感じさせる”何か”が履歴書にあると、会ってみたくなり面接に呼ばれる可能性が高まります!私も面白そうな方を結構、面接に呼ばせていただきました!

 

この経験は、当時すっかり自信を失っていた私にとって、すごく小さいのですが初めての成功体験だったので余計に印象深く感じています。

 

ということで、モニカの転職のお話はまだまだ次回↓にも続きます!

【モニカの作り方2】転職修行が迷走中の20代前半編

2020年3月16日

 

飽きたら、遠慮なくこちらへどうぞ!