改めまして、モニカです。
前回の「20代前半編」から来ていただきまして、ありがとうございます!
ということで、今回は20代後半の「イギリスに留学してから」のお話を続けます。
途中で飽きたら、遠慮なくTOPへお戻りくださいね!
鬼と化したホテルインターン時代
ブリストルにある4つ星豪華ホテルでのインターン生活が始まりました。
仕事はホテルの各所を一通り回った後に、フロント夜間スタッフとして配置されました。
ここで「モニカ」と呼ばれるようになったのですが、実は支給された制服の名札がなぜか「モニカ」だったためそうなりました。(完全に人事部長の手配ミスです。確かにMで始まる名前だけど・・・どうもFAXの字のゆがみで思いつくMで名付けてくれたらしい。苦笑)
ブリストル訛りの英語だけではなく、独特な専門用語やホテルならではの独特のシステムに戸惑いつつも、周囲に助けられて日々業務もはかどり、なんとか楽しく働いていました。
が、毎日スタッフハウスに帰るのだけが苦痛でした。。。
毎日どうしてこんなことになるのかが不思議なくらい、家中がものすごい状態に汚れるのです。
長年の汚れと、誰も掃除しないため、家じゅうがそこかしこ汚いのです。何日も洗っていないお皿やコップが山積みになっていて、共用の床や階段にも乾燥しきった中華麺?などが散乱している状態でした。
いくら掃除をするように頼んでも、二人とも文句を言って全く聞いてくれませんでした。
困ったのは、夜勤に備えて眠る私のドアを、いつも同居の酔っ払い社員がお酒に酔った状態で叩くのです。その人も、食器はもちろん部屋の外まで臭いがするほど、お風呂に入っていないようでした。
毎日起きてから、共用部分の台所やバスルーム、サロンや廊下を必死でひとり掃除する日々。。。
キレイにしても翌日には同じようにまた汚されますが、掃除せずにはいられませんでした。。。
ある朝、いつものようにキレイに掃除して出勤したはずの家に、夜勤を終えてやっとの思いでたどり着くと、玄関と階段に「食べかけのスパゲッティとトマトソース」が散乱していたことで、私はとうとうキレました!(どこかがぷちっと。)
という事で、私を「モニカ」にした人事部長に無理を言い、スタッフハウスの権限を持つ担当女性を探してもらい、彼女を毎朝「付け回す」事にしました。(ほぼストーカーです…)
夜勤明けの朝一番で彼女を見つけて、毎日陳情しました。
「冷蔵庫の整理をさせてほしい。同居人に文句を言われないように会社権限で。」
「同居人が洗濯機で変なモノを洗って壊した。修理してください!」
「バスルームがこの三か月使用不可能なのを知っていますか?」
彼女は私を見ると隠れたり逃げるようになりましたが(苦笑)、鬼のモニカの粘りによって私が来て3か月目ぐらいに、やっと手配業者によるスタッフハウスの徹底清掃が行われ、古くても普通の家に変わりました。
さらに、同居の女性社員と酔っ払い社員が「実はスタッフハウスに住む権利が無かった」ことも判明し、即刻退去になりました。
私にとってのインターン生活前半は、ほぼスタッフハウスでの「闘争」がメインでした。
ただ、この毎日の陳情と闘争により私の英語が初級レベルぐらいまで初めて上達したのです。
その後、スタッフハウスは各国から来る本来のインターン用になり、古株となった私は自然にそのスタッフハウスでのお世話役になっていました。
フランスから来た新人シェフのホームシックを慰め励まし、カリブ出身のベーカリーの女の子とは失恋に一緒に泣き、トルコ人のルームサービス担当と食事を分け合ったりもしました。
インターン後半のスタッフハウスはほぼ普通で、時折フランス人シェフが料理を作ってくれたりみんなでパーティーするなど、毎日帰るのが楽しいところにまでなりました。
何よりお互い異国で頑張っている仲間として、連帯感もありました。この頃を一緒に過ごしたインターンの仲間たちの何名かとは今でも繋がっています。
私が半年の期間を終えて去るときに小さなパーティーをしてくれたのですが、物件担当者の「もう、モニカと朝には会わないのね…」と寂しそうな安堵のような表情が印象的でした。(苦笑)
イギリスでのインターン時代のアルバム↓から。朝のレポートをGMと幹部に届けたあと、物件担当者のところに日参していました。(事実、She’s a kind of “devil”. と言われていました。笑)
不思議な派遣社員の日々
英語には慣れたけどやっと初級レベル、他に特に大したスキルも無い状態で日本に帰国しました。
イギリスでの経験でホテルに興味が沸き、日本でもホテルの仕事を探すことにしました。が、やはりほとんどが門前払いでなかなか見つかりませんでした。
しかし留学で貯金のすべてを使い切ったため、人材派遣会社に登録し派遣社員として働きながら、ホテルの仕事を探すことにしました。
人材派遣会社を「自分好みに」使った派遣社員生活
私は人材派遣会社をいくつか回ったのち、相性のよさそうな1社に早速登録しました。
ホテルの仕事を探している手前、「できるだけ短期契約」で「折角なら、ちょっと変わった仕事がしたい」という希望を出してみました。
派遣としての最初の仕事は、お試し的な「大手建築会社の年末調整書類作成業務」で、超短期5日間、さらに上司からおやつが出る、といううれしいオマケがついていました。
とにかくすごく膨大な量の書類相手でしたが、作業はすてきな応接室(緊急だからそこしかなかった)、おやつは地元の美味しいお菓子が毎日出たので(上司のポケットマネーから)、やる気を持って楽しく働かせてもらいました。
そのお陰か、先方からも大変好評で、派遣会社的にも高評価だったようです。
この時に担当してくれた派遣会社の営業さんが私を「面白い!」と思ってくれたようで、その後も私の希望にあった「短期で面白そうな仕事」の時には真っ先に声をかけてくれるようになりました。
次に紹介されたのは、小さな編集会社での「イベント情報誌の編集」のお仕事でした。そこでのオマケは「近所のスポーツクラブ割引利用可」でした。(多分、前職のおやつでふっくらとした私を気にしてくれたのでしょう。苦笑)
私はその編集会社に勤務すると同時に、近くのスポーツクラブに割引価格で入会し、当時泳げなかったので「水泳クラス」を取りました。
編集会社では「ローカル有名イベント」に関する小冊子の記事確認と編集、広告先との交渉や広告記事制作を担当していました。
そして、来客応対や電話応対も手が空いている時間でしていたところ、来客に大変評判がよかったということで「可能な限り長く居てください」と言われ、契約延長をしてもらいました。
お陰様で、とうとう念願だったクロールと背泳ぎを完璧にマスターするまでの半年間ほどそこで勤めさせてもらいました。
私が過去、健康的に一番痩せていた時期でした。。。(遠い目)
初めて仕事でチヤホヤされた!
その後も、派遣会社の営業の方から「面白くて短期の案件」の紹介をいくつもいただきました。
ある時紹介されたのは、地元大手のインフラ設備工事の会社で「経理事務」ということで派遣されました。
…もう時効ということで告白しますが、実は当時あった「談合のための見積書作成担当」だったのです。(今はもうないと思いますが・・・)
詳しいことは省きますが、その見積作成にはいろいろな交渉や微妙な調整が必要なのですが、私はかなり上手にできて(=分かりにくく調整がでてきて、かつ数字的に微妙な盛りができて)いたらしいのです。
何度か提出した私の見積書がかなり上手くできていたようで評判になり、社内の各部署だけではなく外部他社からも「指名」を受けるようになりました。(実は大元締めの所からも評価を頂き、会社への入館許可書までもらいました。)
そのため本来の約束であった定時退社ができず、残業が多くなりました。
上からは早々に「派遣契約終了後に、ぜひ正社員で登用したい」と打診され、名刺や備品なども社員と同じものを作っていただいたり、食事会や社員の飲み会等にも頻繁に呼ばれるようになりました。
さらに「見合いをしないか」と独身男性社員とのお見合い話まで持ちかけられました。(当時彼氏がいたのでお断りしましたが。)
仕事でのこんな待遇は本当に初めてだったのでビックリしました。。。
大して特技が無くずっと劣等感ばかりだったのですが「自分でもできることがあるんだ!」と、少し自信が付きました。
引き留めていただきましたが、契約期間手前で終了させて頂きました。
実はその頃丁度、一軒のホテルから「面接しても良い」という返事が来ていたのです。
派遣経験って実は「鍵」にできる!
この時、ご縁があって派遣社員として働きましたが、この時の経験もまた大変貴重でした。
私の場合は、とにかくすぐ働けることに活用しましたが、実はこの派遣社員経験は「キャリアチェンジ」に効率的に活かせたんです!
私は「ホテルに就職したい」という目的を持って、派遣でお仕事をしましたが、この派遣で携わったお仕事が後々も意外なところでお仕事に活きてきます。
今回のエピソードには入れられませんでしたが、派遣で経験したいくつかのスキルはその後の転職でも大きく役立ってくれました。
実は以前、「派遣よりも正社員になりたいんだけど…」「派遣でも”紹介予定派遣”(期間後に社員登用の可能性がある派遣)以外は意味がないの?」といった相談を、昔の同僚などから受けていました。
この辺りはかなりボリュームがあるので、今後も書いていきたいと思っています!
ということで、モニカの転職のお話は次回↓にも続きます!
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