改めまして、モニカです。
前回の「30代前半編」から来ていただきまして、ありがとうございます!
ということで、今回は30代後半の「ホテルを退職しようと決めた時」からのお話を続けます。
途中で飽きたら、遠慮なくTOPへお戻りくださいね!
初めての職種にチャレンジ
ホテルに辞める事を伝えると、最初は引き止められましたが、私が新しいことにチャレンジしたくて前向きな退職であることを理解してくれて、応援してくれました。(実はこのホテル、今でも評判が大変よくて、私の誇りでもあります!)
一度実家に戻り、ちょっと休んだ後に半年ほどハローワークのPCスキル講習にも通いました。ずっと自己流で不安もあったので、この機会にしっかり基礎だけでも身に付けておきたかったからです。
それに通うのと同時に、やりたかった分野と前職でなんとなく感じた「東京」に絞って職探しを始めました。
この時は明白に「マーケティングの仕事に就こう」という意思を持って仕事を探しました。
書類選考でいくつも落ちても、この時は不思議とそんなに辛くはありませんでした。
「よし、次の会社に行くか!」という感じで、なんだかワクワクしていました。
やっといくつかまとまって面接アポが取れたため、東京に向かいました。
そのうちの一社に、ちょっと自分でも背伸びして申し込んだ「外資系企業」がありました。
私の経歴と英語のスキルではちょっと足りないかもしれない…と思いつつも、マーケティングという職種とオフィスが東京の一等地にある!という単純な理由から申し込んだところ、先方から面接したいと連絡がきたところでした。
面接してくれたのはパワフルな女性の日本支社長でした。
彼女は最初からいきなりざっくばらんで、「実は日本にローンチしたのが最近で、営業が足りなくて困っている。あなたは経験のないマーケティング職は難しいけど、営業職でなら即採用します。営業の方がお給料もいいのよ。」と言われました。
私は、今回どうしてもマーケティング職が経験したくて転職活動していること、でももしマーケティング職で採用してくれたら営業も手伝う、ということでこちらから交換条件を出しました。
日本支社としては、香港のヘッドオフィスとの連携もあるため、マーケティング職は彼女の一存ですぐには決められない…という事で、その日は保留となってしまいました。
でも、面接の終わり際に支社長から「あなたと一緒に働きたいから、少し私に時間をください」と言ってもらえたので手ごたえを感じました。
1週間後に再び支社長から連絡が来て、「このあと、香港のマーケティング責任者と電話インタビューできる?」ということで、突然の英語での電話面接することになりました。
・・・問題は、私の初級に毛の生えたレベルの英語です。(大汗)
でももうとにかくやるしかない、と「特技:度胸がある」で当たることにしました。
アメリカンアクセントの強い女性重役でしたが、とにかく「営業は手伝えるが、マーケティング職で勤めたいための転職である」「お返事が遅くなるようなら他に行く予定もある」「私を採用したら、きっといいことがある!」みたいなことを、とにかく熱意だけで押しまくりました。(苦笑)
その後しばらくして支社長から「私も強く押しといたけど、あなたの押しが効いたわよ!」と電話で言われた時には、膝から物凄く力が抜けてその場でへたり込みました。
とうとう、希望のマーケティング職を得ることができたのです!
ひたすら英語漬けの日々
再び、身の回りの物をスーツケース一つに詰めて東京に向かいました。当分はまた安ホテル暮らしです。
外資系という事で、オフィスにいるスタッフの半分は外国人、さらに社内での公用語は英語…といういきなりの英語環境に飛び込むことになりました。
出勤初日に早速「防災訓練のミーティング」があったのですが、それさえも全部英語で冷汗が出ました。
いろいろな引継ぎを受けながら、とにかく英語で反応することを必死でやりました。
幸い、業者や営業先は日本語なので、ちょっとホッとしました。
初日から支社長に「マーケティング分野はしばらくカバーするから、営業の方を早速手伝ってほしい」と言われ、初日から営業のための電話を過去リストから100本かけアポ取りから始めました。
そして、その数日後にはそこからから無事、新規契約が無事決まり、何とか肩の荷が下りました。
喜んだヘッドオフィスから早速「営業の採用プロジェクトを立ち上げて、責任者になるように」との連絡が入りました。
おかげで午前中は営業、午後から採用プロジェクト、夕方からマーケティング…という慌ただしい毎日が始まりましたが、夜11時近くの終電での帰り道でも毎日ヘトヘトでも、目指している方向に向かっているという充実感で疲れもそれほど感じないくらいでした。
ところが1か月経った頃、支社長から「家族の事情で、退職してカナダに帰ることになった」と言われ目の前が真っ暗になりました。
せっかく彼女と働きたくてこの会社に来たのに…という思いもありましたが、なによりそこでの一番の理解者を失う事がショックでした。
英語もまだ不十分なまま、慣れない東京の職場で、私は一人ぼっちになりました。
支社長の帰国後、ヘッドオフィスから取りあえず当座の「仮の相談役」を3か月間だけ手配してくれました。
そして私は、営業職の採用プロジェクトと同時に、その相談役と一緒に自分の上司になるかもしれない支社長候補の面接まですることになるという、異例の事態になりました。。。
その相談役は、大手総合商社の重役をされてた日本人の、既に定年退職されていた方でした。話しやすい方で、私の状況をその後も何かと心配してくれました。
3か月間、素晴らしい経歴を持つ様々な方々とたくさん面接しましたが、ヘッドオフィスにかなった支社長の候補は見つかりませんでした。そのため、次はアメリカ人の相談役が手配されました。
そのアメリカ人相談役のいる間も、結局支社長候補は決まらず、気が付くと半年があっという間に過ぎました。
営業の採用プロジェクトでも多くの人と会い、そのうち2名をヘッドハンティングする形で引き抜きました。
やりたかったマーケティング分野でも、迷いながらも少しずつ進み、営業にも反映された効果と成果も出ていました!
最初は全く分からなかったに近い英語も、毎日の通勤時や帰宅後も必死で勉強しながら、日々の業務で同僚と話し、ヘッドオフィスと交渉したり喧嘩したりするうちに、だんだんできるようになってきました。
伝わらない悔しさを原動力に、イギリスにいた時よりも必死で英語を勉強したおかげで、商談や交渉ごともかなり安心して進めていけるまでになりました。
ただ唯一、慣れないことがありました。
外資系という性格上、昨日まで一緒に冗談を言っていた同僚が突然朝「箱を抱えて」会社を出ていく光景を目にすることです。
解雇を言い渡すのは社内の人ではなく、ヘッドオフィスと契約している人事専門の管理会社から人が来ることになっています。
なんと声をかけたらいいのか、周囲にもろくにお別れも言えずに立ち去らなくてはいけない様子には胸がいつも痛かったです。私も万が一のため、自分の私物をまとめておく癖がつきました。明日は我が身…というのを常に感じていました。
やっと支社長が決まったのは私が入社して8か月目ぐらいでした。
当時の本部の会長からのイチオシされた、見栄えの大変良いイギリス人男性の支社長でした。
それまでの8か月間、「ほぼ」支社の仮の責任者としても気の張る毎日だったので、本当にホッとしたのを覚えています。
これからマーケティング専任になってもっと注力できる、と安心しました。
が、新支社長は着任早々いきなり「マーケティングの責任者を変える」と言い出しました。
そして、いきなり私の上につく「上司」を外から連れてきたのです。
その上司はMBAを持っている方で、この業界未経験だったにもかかわらず、これまでの私とヘッドオフィスで立てたマーケティング計画を突然大変革し始めました。
そのため、新しい計画で本来の予算がどんどん減っていき、これまで順調に上向いていた広告の効果数値が急激に落ちていきました。私は何度も「うちの会社的に難しいのでは?」「既にこの8か月間のデータもあるのでそこから判断してほしい」と資料を見せて頼みましたが無理でした。
なにより目に見えて営業成果が落ちて来た時、今度は「(モニカは営業ができるのだから)営業に職替えをしてほしい」と支社長から言われたのでした。
・・・ここまでか・・・ということで、私の方から退職を言い出さざるを得ませんでした。
ヘッドオフィスからは「何とか残れないか」と昇給も含めて止められましたが、ここにいてもやりたい仕事は無理だと明確にわかったため、退職する意志が固いことを伝えました。
日本支社がまだ開業に近い頃から携わり育ててきたのと、初めてのマーケティング職にも愛着はありましたが、しかたありません。私は見切ったら、早いのが取り柄です。(笑)
すぐ1か月間の引継ぎ期間をとって、上司やスタッフにそれまでの全てを引き継ぎしました。幸い、私は職場のみんなにお別れを言え、花束をもらって「惜しまれて」去ることができたので、ある意味本当にラッキーでした。
私の退職後に全体的にあまりに業績が落ち続けたため、支社長から「手伝ってほしい」と、元の給料の半月分オファーで、5日間だけ手伝いに行きました。(わたし的にはぼろ儲けでした。笑)その時も「戻って来れないか?」と何度か破格のオファーを頂きましたがお断りしました。
私にも、意地がありました!
逃げ足は速い方がイイ!
こんなに転職していますが、実は私の「逃げ足」には定評があります。(笑)
退職の際にはしっかり準備をして、「立つ鳥跡を濁さず」がモットーですので、引継ぎや引継ぎ資料は抜かりなくしっかりまとめ上げていきます。
そしていつも去るタイミングが絶妙なんだそうです。(元同僚たち談)
なぜなら、私はその会社の「一番良い状態の時」に去っていることが多いのです。
・・・また後日詳しくこの辺りも書きますが、見極めるのは大変大事です。
実は、ここにもコツがあります!
ということで、モニカの転職のお話は次回↓にも続きます!
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