改めまして、モニカです。
前回の「新卒編」から来ていただきまして、ありがとうございます!
ということで、今回は「初めての転職が成功してから」のお話を続けます。
途中で飽きたら、遠慮なくTOPへお戻りくださいね!
私のキャリアの基礎を作ってくれた経験
さて、憧れの英会話学校で、美人の同僚たちに囲まれての研修がはじまりました。
実はそこで学んだすべてのことが、その後の私のキャリアの基礎を作ってくれたと思っています。
研修は2週間あり、その中に接客営業の基礎から様々なテクニック、マーケティングや学校経営に関するすべてのことが詰め込まれていました。
なぜならこの研修の最終日にそれぞれの赴任先が告げられた後は翌日から赴任先の学校に出勤し、実務がすぐ始まるからです。
この2週間の研修で、「その日からすぐ学校運営ができる」知識の全部を学ばなければならないのでした。
当時のノート↓は今でも手元に残しています。何度も読み返していました。実は、たまに今でも読み直すことがあるんです。私にとっては「仕事の基礎」を鍛えてもらった大切な教科書だからです。
この研修は難しいばかりでなくかなり厳しく、一分一秒よそ見も出来ない位の詰め込まれ方でした。
研修中もかなり厳しく追い込まれるので、実は脱落率も高いのです。。。
一緒に採用された同僚6人中、研修最終日まで残ったのは私ともう一人の2名だけでした。
なんとか残れた私ですが、赴任先は引っ越しを伴うぐらい離れたところだったので、まずは1週間分の手回り品をスーツケースに詰めて現地に出勤し、1週間ほど安ホテルから出勤することになりました。
幸い、私の赴任先ではもう1名の先輩同僚と一緒に同じ業務にあたる形だったので、お互いに助け合いながらできるのですが、初日の朝にその先輩から「結構、キツいから覚悟しておいた方がいいよ…私も今、辞め時を探している所なの。」と言われたのでした。。。
実際に仕事が始まると本当にキツい毎日でした。保険の営業をしていた時よりも別のレベルのプレッシャーとストレスに、押しつぶされそうになりながら必死に耐えるのに精一杯でした。(ちなみに、研修で一緒だった同期は、1か月目で早々に退職されてました…)
時にはノルマが達成できず、電話で本部から「給料泥棒!」と罵倒されたこともありました。
1か月目は、毎日冷汗の絶えない状態でしたが、慣れてきた2か月目からやっとノルマが達成できるようになりました。3か月目では既に「ベテラン」と呼ばれ、半年が経った頃には、なんと全国にある学校中の上位にも入ることが出来ました!(最高2位!)
英会話学校では元々社員として英語のクラスを受けることも可能でしたが、自分の仕事のほうが楽しくて、それどころではない毎日でした。ただ、多くの外国人の先生と交流をする中で漠然と「やっぱり英語が話せたらいいな~」と思う程度でした。
辛くても遣り甲斐があり、やっと掴んだ成果の出せた仕事だったので楽しかったのですが、厳しい毎日で同僚が逃げるように辞めていく中、私も度重なる転勤や出張と精神疲労で体調を壊していきました。
ある日の私の顔を見た親から「このままでは過労で死んでしまうから、頼むから辞めて欲しい」と真剣に言われました。
自分でも迷い、上司からも引き留めていただいたのですが、体調上の不安もあって辞めることになりました。
私はまた、挫折してしまったのです。。。
廃人から普通のOLに
英会話学校を辞めた後、本当に魂が抜けたように過ごしました。
親からは「もう無理をするような仕事はやめて、落ち着いた仕事に就いてほしい」と言われていました。好きだった前職を続けたかったのに続けられなかったことに、正直すごく落ち込みました。
結局、気力と体調が戻るのに半年ほどの時間がかかりました。
20代後半に差し掛かってこのままではいけないと焦り、親の希望の「落ち着いた事務職」を探しては幾度も面接を受けていましたが、資格も事務経験もないためいつも落ちてました。
しばらくして、ハローワークで紹介された小さな事務所の事務職を、やっと得ることが出来ました。
小さな会社だったので、経理・総務をすべて一人でやらなくてはいけませんでしたが、毎日がジェットコースターのような刺激的な前職に比べると、本当に穏やかな毎日でした。
経理未経験だったのですが「勉強します」と面接で言って採用してもらった手前、終業後にはクラスに通って簿記の勉強をしました。ここでは決算書なども作成したり、かなりボリュームのある実務を経験することができました。
定時で帰れるため、仕事の後は友人と遊んだり習い事をしたり、ごく普通のOL生活を送っていました。
3度目の決算を締めてほっとしていた頃、実は学生時代から長く付き合って既に結婚の話もしていた彼に裏切られていたことを知りました。
ショックでした。。。
穏やかな毎日のなか、そろそろ結婚でも、という話をお互いにしていた矢先の出来事だったので、真っ白になったのを覚えています。
彼は何度も謝って復縁しようとしてきましたが、私は許せなくて連絡を絶ちました。
彼はそのうち家や会社の前で待ち伏せするようになりました。
行き場のなくなった私は、会社を辞めることにしました。
3度目の退職、また挫折です。
逃避行目的のイギリス留学
折しも当時のバブル崩壊後の不況が長引き、連日倒産のニュースが流れていました。
仕事は探してももう無理と諦め、やけっぱちになった私は子供の頃から溜めていた貯金(結婚資金の予定だった)を全て使って、イギリスに留学することに決めました。
正直、英語はほぼ忘れて「Hello」位しか話せない状態でしたが、全てを忘れられる遠い所に行きたい一心でした。
マンチェスター近くのローカルカレッジに半年留学&ホームスティして、残りの半年を職業インターンをして学位を取るコースの試験になんとか合格し、家を引き払いスーツケース一つでイギリスへ旅立ちました。
カレッジでは日本人ばかりのクラスでした。クラスメイトの大半は、新卒位もしくは在学中の、自分より10歳近く若い世代です。
私は英語の上達よりも、別世界に来ただけですっかり満足してしまっていました。
周囲のキャリアアップ目的の真剣な彼らと違って、私一人はのんびり休暇気分でした。
そんな私も、まさかまた同じ苦しみを味わうことになるとは思いもしませんでした。
カレッジの半年後のインターン先を自分で探さなければならなかったのです。
イギリスでの、まさかの職探しです。。。
周囲より英語も出来ず、休暇気分だったので目的もなく途方にくれました。
仲良くなった別の課の教授にも手伝ってもらいながら、毎日FAXで「インターンさせてくれませんか?」レターをいたるところに送りまくりました。(もう手紙を書いて郵便で出している時間が無かったので。)
面接を受けてもなかなか採用されず、クラスメイトの中で決まってないのは私だけでした。
退校期限ギリギリになって、あるホテルから「給料は出ないけど、食事1食と部屋提供のインターンなら」とやっとOKをもらうことが出来ました。
採用してくれたのは南の港町・ブリストルにある、なんと四つ星ホテル!
歴史があり、さらにその町一番の誰もが知っているゴージャスなホテルでした。
ホテルの人事部長の好意で、到着後の最初の2泊をそのホテルの部屋に泊めてもらえたのですが、夢のようでした。
3日目からスタッフハウスに住まわせてもらうことになりましたが、廃墟のような一軒家で、同居人のスタッフはいつも酔っ払っている悪臭の初老社員と、変なにおいのする不潔な女性社員…という予想外の非常事態から、私のインターン生活が始まることとなりました。。。
「苦労は買ってでもしろ」は本当!
最初の「生命保険の営業」も「英会話学校の営業」も、私にとっては結構キツい職場ではありました。どちらも、朝から晩までのサービス残業で、自主的に休日出勤は普通、という毎日でした。
ただ、生命保険の時は、「営業とは?」と常に疑問符が付いた状態で毎日単純に労働で疲弊していましたが、日々地道に通う事での成果の上げ方を学びました。
そして「英会話学校の営業」では、本当の意味で「仕事のやり方」がここで身に付いたことが、その後の私の転職にも大きな影響を与えました。
当時の私が、20代最初の二つの仕事から学んだことは、社会人として本当にごく基礎的で一般的なことです。
営業・事務・経理の仕組みや会社組織の中での立ち居振る舞い、特に女性の多い職場での人間関係などは、この時期悩みながらもたくさんのことを学びました。特に「営業」は闇雲に走るだけではなく「まず自分の頭で考えること」だと身を持って体験しました。
単なるがむしゃらに走るのではなく、いろんなことを考えながら働いたことで、「何でも売ることができそう!」という自信にもつながりました。(その後、実はそれを試すためにイベントやシステム、建売住宅や着物までバイトで売り上げました。いつも「正社員にならないか?」と誘われました。笑)
体も心も壊れるほど辛かった時もありましたが(実際少し壊れました…)、泣きながらでも必死に頑張ったあの頃があったから、私はその後、どんなにびっくりするようなことが起こってもそんなに動じなくなったのかな~(度胸?)と思ったりしています。
そして、同じ研修を受けても同じ辛い苦労や成功体験をしても、個々で違う受け取り方をしていると「全く違う結果」になっている場合があります。
実は私が営業する自信をもらったこの仕事の後、この時の同僚たちの何人かと会ったことがありますが、聞くと「もう営業したくない」と全く違う仕事に就いた方もいれば、自分でビジネスを立ち上げ経営者になった方もいます。働くこと自体に向いてない、と感じて専業主婦になった方も。
みんなちがってみんないい。けれど、人それぞれの経験はどれも貴重でどれも宝物です。
時々、「そういえば、あの時あんなことしたな~」と思い出してみるといいですよ!今だからわかる意外な発見があるかもしれません。
ということで、モニカの転職のお話は次回↓にも続きます!
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